top of page
検索
  • 土屋晶義

知財との出会い

更新日:2020年5月24日


1)「こうしゅうに」に決まったよ 


 関東にある基礎研究所で超精密測定装置の輸入事業を10年に亘り展開

していましたが、本社への吸収合併で、1年かけて他社に事業引継ぎを

しました。

 一台7千万円程の装置150台位を納入していたので、ユーザー様と

事業引継者及びドイツ製造メーカーに迷惑がかからぬ様に引継ぎし、結果

として1年を費やしたのです。

 (事業に関するエピソードは追々、アップしていきたいと思っています。)


 親しかった人事責任者から、どこか次の職場の希望あるかと問われたので、

「まだ会社を去るわけにはいかないが、月に行くのはまだ早いので、地球上

であればどこにでも行きます」(世界の主要国で事業展開していた)

と答えていました。希望を出せる状態ではなかったのです。

 二週間ほどして、「こうしゅう」に決まったよとの連絡が入りました。

 産業機器の生産工場がある、山梨(甲州)ですかの問いに対し、いや、

もっと遠いとのこと。



2)広東省広州市

 

 中国の広州でした。これが、知財との出会いでありました。当時50歳。

家に帰り、調べると「コウシュウ」という地名は、光州(韓国)、広州

(中国)の2か所あることが分りました。それまで広州の存在すら知らず。

 この時点で、広州で模倣対策の陣頭指揮をとる知財ミッションが決って

いたのです。

 ドイツ駐在時代に、ハードな技術・契約交渉はやってはいましたが、知財

を専門的に勉強したわけでもなく、ましてや中国での勤務となれば、言葉

の問題もありましたが、とにかく2つ返事で受けたことを覚えています。

 ただ、妻にはだまっておきました。多大な苦労をかけたドイツ駐在時と

異なり、言葉や安全面で未知の中国に帯同させられないと直感したからです。 



3)50の手習い


 そんななか、赴任まで約半年間の準備期間を頂けたのは、感謝感謝です。

 本社知財に転入時、「部下は日本語が堪能なので、言葉は心配しないでよい」

と言っていた上司が、1か月程したら、「ところで中国語の勉強は進んでいる

か」とのこと。 

 当時、会社でよくあった決心を翻さないための「(親心)からのだまし」です。

 しかたなく赴任前中国語研修に参加しましたが、50歳にして中国語の学習は

困難を極めました。


 赴任までと現地での中国語学習奮闘エピソードについては別テーマなので、

追々アップします。




閲覧数:32回0件のコメント

最新記事

すべて表示

社内模倣対策体制構築を

1)模倣対策=摘発ではない 中国でも帰国後も様々な機会に模倣対策の話をしていますが、模倣対策=摘発 と考える方がかなりおられましたが、それは誤りです。 仮に摘発しても、模倣行為を簡単にやめず何度も再犯したり、摘発すればするほど、摘発を逃れるため模倣巧妙化が進み、摘発が増々困難になり、高額の費用を費やすことになります。摘発できても解決できない課題がありますし、また、摘発さえしていればそれで良いとうほ

bottom of page